そんなことまでして長生きしたくない
「そんなことまでして長生きしたくない」
ことあるごとに口にする母である。
階段を使ったトレーニング?の見本を見せたときも、
買い物用のキャリーカーを引く練習をすすめても、
杖をつく練習をさせるときも、
シルバーカートを購入したときも、
脳トレのために、クイズノートを買ってきたり、住所や家族の名前か書けるように手本を書いて練習ノートを作ったりした時も
綾小路きみまろのCDを買って来たときも、近くの喫茶店に誘ったときも…。
挙げだしたらキリがないが、
そのたびに、今の母の様子や今後の体や脳の見通し?を話し、予防策のあれこれを母に話した。
そして、「いちいちうるさい。」「横になっているのが楽。そんなことまでして長生きしたくない。」と不機嫌になる母。
でも、ついに、あんなに風呂好きだった母が、お風呂に一人で入れなくなった。(正確には)3年前リフォームしたときに、お風呂に介護用手すりなどをつけてあっても湯船への出入りが一人でできなくなった。お風呂の椅子に一人で座ったり立ったりできなくなった。
術後の入浴制限のせいかと思っていたが、この2.3日の「今日、お風呂やめる」とか「お風呂は1日おきで十分」と言いだしたのは、本当は、入浴が困難だったからか。
母には、「こんなこともできないまま長生きし、何年生きるかわからない」と不安がど~んと来ているだろう。私もか。
「後頭部の怪我も緑内障の術後も(今日の診察でも)順調だったからよかったよ」励ましとも慰めとも分からない言葉を、母にか私にか分からないままかけている。