65歳と89歳のおばあちゃん - 介護奮闘記?

65歳の娘と89歳の母の介護(介助)にまつわるエピソードが中心です。年齢とともにきっと皆が経験する話を日記で書いていきます。時々普通の日記も。

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母の腕時計

赤い革ベルトの時計

母は、おやつを買いにちょっと近所に出かける時もデイサービスの時も、必ず時計をはめていく。

先日も、

「行きたくないなあ、もう。いつまで行かないかんの?」

と不機嫌な言葉を発しながらも、お気に入りの赤い革ベルトの時計をはめてデイサービスへの準備をしていた。

私は、「時刻を確かめて過ごすことなど無いと思うけど・・」という思いで眺めていた。

 

デイサービスから16時ごろ母は帰宅した。

それから2時間後、内科の診察に車で連れて行った。この日は、夫が夕ご飯を作ってくれる日だったのと、この時間帯に行くと、待ち人数は1、2人で格段に早く疲れが少なくてすむから。午前中だと待ち時間を合わせて3時間はかかるところ、薬局に寄っても1時間ほどで帰宅できた。

 

「時計がない。」

夕食後、母が言い出した。デイサービスに行くときは、確かにはめていた。医者に行くときは? きっとはめただろう。

いつどこで外したか記憶にないようだ。玄関、洋服のポケット、シルバーカートの中、ベッド周り、シーツの中・・・。なだめて、「また明日。ひとまずお風呂へ。」

と促した。

 

でも、時計はどこに?もしかしたら、デイサービスで調理実習をしたときに外したか?

こんな“お尋ね電話”、迷惑だろうなと悩みつつ、翌朝、施設に電話した。無かった。

「もうどうせ腕時計なんか使わないから見つからなくてもいい。」

と、母は、無理して諦めようとしている様子だった。

 

時計発見

3日後、私の車の後部座席のクッションの下から、母の時計が見つかった。内科医院に行ったときに、時計のピンが取れてベルトごと外れたようだ。仕事帰り、時計屋でピンやベルトを付け直してもらって、喜ぶ母の顔を想像しながら帰宅した。でも、期待は外れた。母は、時計が外れた記憶が無いことばかり気にしていた。

 

時計お蔵入り

時計が行方不明になって面倒だった記憶は強いのだろうか。もう時計をしないと言った母の決心(?)は固かった。時計は、その翌日から、いつもの小物トレイにはなく、テレビ台の上に置かれたままだった。その次のデイサービスにも時計をはめてはいかなかった。「時計、もう見ないし・・」と言うだけで、母の本当の思いは分からないが、母とともに時を刻んできた時計だけに、なんだか切ない気分になる。