母の腕時計
赤い革ベルトの時計
母は、おやつを買いにちょっと近所に出かける時もデイサービスの時も、必ず時計をはめていく。
先日も、
「行きたくないなあ、もう。いつまで行かないかんの?」
と不機嫌な言葉を発しながらも、お気に入りの赤い革ベルトの時計をはめてデイサービスへの準備をしていた。
私は、「時刻を確かめて過ごすことなど無いと思うけど・・」という思いで眺めていた。
デイサービスから16時ごろ母は帰宅した。
それから2時間後、内科の診察に車で連れて行った。この日は、夫が夕ご飯を作ってくれる日だったのと、この時間帯に行くと、待ち人数は1、2人で格段に早く疲れが少なくてすむから。午前中だと待ち時間を合わせて3時間はかかるところ、薬局に寄っても1時間ほどで帰宅できた。
「時計がない。」
夕食後、母が言い出した。デイサービスに行くときは、確かにはめていた。医者に行くときは? きっとはめただろう。
いつどこで外したか記憶にないようだ。玄関、洋服のポケット、シルバーカートの中、ベッド周り、シーツの中・・・。なだめて、「また明日。ひとまずお風呂へ。」
と促した。
でも、時計はどこに?もしかしたら、デイサービスで調理実習をしたときに外したか?
こんな“お尋ね電話”、迷惑だろうなと悩みつつ、翌朝、施設に電話した。無かった。
「もうどうせ腕時計なんか使わないから見つからなくてもいい。」
と、母は、無理して諦めようとしている様子だった。
時計発見
3日後、私の車の後部座席のクッションの下から、母の時計が見つかった。内科医院に行ったときに、時計のピンが取れてベルトごと外れたようだ。仕事帰り、時計屋でピンやベルトを付け直してもらって、喜ぶ母の顔を想像しながら帰宅した。でも、期待は外れた。母は、時計が外れた記憶が無いことばかり気にしていた。
時計お蔵入り
時計が行方不明になって面倒だった記憶は強いのだろうか。もう時計をしないと言った母の決心(?)は固かった。時計は、その翌日から、いつもの小物トレイにはなく、テレビ台の上に置かれたままだった。その次のデイサービスにも時計をはめてはいかなかった。「時計、もう見ないし・・」と言うだけで、母の本当の思いは分からないが、母とともに時を刻んできた時計だけに、なんだか切ない気分になる。