65歳と89歳のおばあちゃん - 介護奮闘記?

65歳の娘と89歳の母の介護(介助)にまつわるエピソードが中心です。年齢とともにきっと皆が経験する話を日記で書いていきます。時々普通の日記も。

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眼科受診 可愛い年寄りになりたい

目の手術するかも

Y眼科に母を連れて行った。予約制の医院ではないので、2時間半待ち。

眼圧がなかなか下がらず、放置すると左目が失明するかもしれないと手術を勧められた。総合病院に良い医師がいるとのことで、紹介状をもらった。

 

母が不安がっていたので、どんな手術かとか入院するのかとか尋ねたが、「分からないから病院を紹介するのだ。」と医師は、うっとうしそうに返答した。

20数年前、息子が近視になり始めたころ「子どもが近視にならないように親としてきちんとしていない。」と叱られたことを思い出して、ドキドキが蘇ってきた。

 

翌日一番の予約をとってもらった。

母は、母で、案の定、「左目、もうどうせ見えないから、どうでもいい。医者なんか行きたくない。」と不機嫌になった。医師には「はい」「はい」と素直に言っていたくせに。

 

気分を変えようと、眼科の帰り、「お昼は久しぶりにどこかで食べて帰ろうか。」と言ったが、それに対しても「別にどっちでもいい」と投げやりな返事。それでも、せっかくだからと蕎麦屋さんに。「何にする?」「何でもいい。」と。どっちでもいいと言ったのに誘ったことを後悔した。それでも、「おいしかった。」の一言でもあればまだよかったが。

 

「もう死にたいわっ」

家の駐車場に着いても、「あ~あ、疲れた。」の一言とため息。そして、部屋に入るなり、「車の乗り降りに時間がかかるのに手伝ってくれなかった、どうせ面倒なんか見たくないのだろう。」と。

さすがの私もムカッとして、「自分でできることは時間がかかっても自分でするといいとケアマネージャーさんも言ってたでしょ。」「いつも、周りが不愉快になる顔して、文句ばっかり言って。」と返した。

それに対して、母は、「もう死にたいわっ。」と叫んだ。いつものことだ。私を脅迫しているつもりだろうか。

 

でも、今日は、夫が、「○○(私の名)が、何から何まで世話してるのにどうしてそんなことが言えるのか、一番聞きたくない言葉だ。」「○○がいなかったら、おばあちゃん今ごろどうなっているか考えよ。」と言ってくれた。初めてだったその声の大きさに驚いたが、有り難くて申し訳なくて涙がこぼれた。自分の母親のために、夫にこんなことを言わせている。

 

母は、こんな人だったか? いつからあんなふうになったのか? 腹立たしい、哀れ、情けない・・・でも、私の母である。

私は、母のようではなく、「ありがとう」「ごめんね」などちゃんと言える可愛げのある年寄りになりたい。今、母からたくさん教えられている。