65歳と89歳のおばあちゃん - 介護奮闘記?

65歳の娘と89歳の母の介護(介助)にまつわるエピソードが中心です。年齢とともにきっと皆が経験する話を日記で書いていきます。時々普通の日記も。

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ケアマネージャーさん訪問

今日は、ケアマネージャーさんの訪問が3か月ぶりにあった。支援計画と8月に控えた介護認定更新について話をした。  

 

新規の介護認定では、市役所の職員や地域包括支援センター保健師さんや介護施設のスタッフが、自宅で母や私と面談した。

 

でも、更新となる今度の介護認定は、介護認定調査員だけで面談とのこと。ケアマネージャーさんが、介護認定調査員として一人で面談されるらしい。「既に分かっていることを再度お尋ねするかも知れない」と言われたが、母にとっても私にとっても緊張しなくてもよいので有り難い。

 

この一年の母の様子や衰え具合(?)にケアマネージャーさんも驚き、次は、「要支援」でなく「要介護」を頂いて、リハビリ回数も増やせるとよいと言っていた。

 

かかりつけ医の意見書も重きを置かれるようなので、そのこともお医者さんに伝えるとよいとアドバイスをもらった。心強く思った。

 

支援計画書を前にケアマネージャーさんと私で真剣に話していたが、母は、もう疲れたと言わんばかりの表情で他人事のように座っていた。

認定調査は、8月末。先ずは、それまで明るく元気でいたい。

 

 

 

分かるわ

今日、眼科の検診に母を連れて行った。シルバーカートなのでエスカレーターではなく、少し離れたエレベーターを使った。

 

車椅子の母娘らしき二人が先に乗り込んだ。すぐ降りられるように、エレベーターの中で二組とも方向転換。

車椅子のタイヤと母のカートのそれがぶつかった。

「すみません」と言ったのは、ともに付き添いの方。 

 

私と同年代ぐらいのその女性が、目配せしながら、

「大変ですね」「分かります」

と言った。え?!と驚いたけれど、私も、

「お互いに」「分かります」

と返した。

 

1階から2階までのほんの一瞬だったけど、何だか、気持ちが軽やかになった。

 

 

不治の病・・

母は、お風呂が大好きだった(つい最近までは)。夕食後間もなく入浴して、8時半には自室でのんびりしたいと……だから、今までずっと“一番風呂“。

 
できなくなった

そして、お風呂の準備は、最近まで唯一母の役目。時間がかかっても、できることはなるべくさせたいと母にさせていたことだ。

でも、ここ数日「やっぱりもうできない」と母。支え無しでは立っていられず、湯船のふたを動かしづらいのか。

それで、昨晩夕食時に、お風呂のスイッチを押すだけに準備することを話題にした。

母は、知らん顔。(聴力はすこぶる良いのに)

「聞いてる?」

「聞いてるわ。」 

この反応は何? でも、まただと我慢。

 

甘えている?

治療院から私が帰ったのは、8時半ごろ。いつもなら母は、入浴を終えてテレビを見ている時間。なのに、風呂にも入らず横になっていた。調子が悪いのかと心配するも、

「別に。」「入りたくない。」

私が出かけていて、お風呂にはいるように促さなかったからか。今日は、今年初めての最高気温34度で暑い日だったのに。

 
忘れてしまった・どうしてそうなる?

「今日から、スイッチ一つで入れるのに?」

と一言言ったのがいけなかった。

「そんなこと聞いていない?いつ言った?」と叫ぶ。夫も夕食時のことを話すも・・・。

 

「遅くなるから嫌だ。」と言う母のために、シャワーで済ますことにして、途中まではっていたお湯を止めた。

取りあえず、いつも使っているバスタオルや着替えを、脱衣場に置きに行った。そのとき、母の部屋から、

「タオル、なんでこんなとこに隠したの?」と叫ぶ声。?!

母は、なぜか押し入れを開けて、(近い将来デイの入浴サービスで使わせようとしまっておいた)バスタオルを手にしていた。

 

シャワーの準備をして、母の手を引いて脱衣場に連れて行った。

「湯もないのに入れと言うのか。」

「シャワーなんか風呂とは言わんわ。」

と怒鳴る母。

 

「早く寝たいからシャワーだけにすると言ったから、途中で湯をはるのをやめて連れて来たのに。」と私。

「言った?そんなこと知らない。」と母。

結局、お湯がはれるまで母を見張る。忘れて再び寝ないように。

 
分からない 混乱

母は、自分が言っていることやしていることがどんなことか考えられないようだ。私は、思い出させようと説明してしまうが、それがまたよくない。

母の「いちいちうるさい」「死にたいわ」口撃に火を着ける形に…。

 

母も、昔は、優しく賢く気配りのできる人だった。それが何という人になってしまったのだろう。高齢のせいで壊れたんだ。それももう治らない。

母の方が本当は辛いのだろうが、涙がこぼれる。

 

忘れてしまうこと

翌朝、やはり母は、何事もなかったかのように普通だった。「忘れてしまうこと=幸せ」かも知れない。できることなら、私も忘れたい。

夫が言った。

「老化は不治の病といっしょだな。治そうとか何とかしようと頑張ると、○○(私の名)みたいに苦しむことになる。辛いな。」

 

○○を憎んで人を憎まず?

昨晩は、腰痛のために治療院へ行った。私が。

十数年前椎間板ヘルニアになってからずっとお世話になっている、予約を取るのがなかなか難しい治療院。

 

仕事を終えて一旦帰宅して、みんなで夕ご飯を食べる。母は、お昼を食べただけで血圧も測らず、薬も飲まず、目薬もしてなかった。
(帰って来てよかったと思ったが…。)
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何もしていなかったことを指摘すると、母は、

「どうせ死ぬからどうでもいい。放っておいて。(目が)見えんでも私の目だわ。」

相変わらずの怒り口調でうんざり。

 

最後は、

「私が生きとるのがそんなに憎たらしいのか?」

とそれこそ憎らしい言葉を発しながら母は自室に。夫と目が合う。申し訳ない。

年齢のせいでああなっているだけだと思っても腹立たしく、気が滅入る。

 

動けるうちは少しでも自分のことをして筋力などを維持させたいし、目だって見えるままで・・・薬も飲み薬もできるうちは助けながらさせたいと思う。
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「○○を憎んで人を憎まず」という言葉が浮かんだ。

 

 

視力低下。私のこと。

母の面倒や病院通いの疲れを言い訳にして、自分の眼科通院が遅くなった。

緑内障は遺伝するとネットで読み、私も心配になっていた。自覚症状はないとのことなので、早期発見、早期眼薬…と考えて。

視力も落ちているような気がして。

 

視力は、昨年、0.7、 1.0だったのが、確かに落ちていた。0.4、0.7。今年の免許更新では、「要眼鏡」と記載されるだろう。

 

ただの近視と乱視、老眼?、飛蚊症だけで、白内障緑内障もまだ兆候はないとの診断だった。

昨年まであった職場の健康診断は今年からはない。年に1度ぐらいは検査したい。

MRI 結果 老化?

年齢相応の脳で、特別な病気は見つからなかった。それはそれで、安堵。歩行困難、記憶障害などは病気ではなく、老化だから安心をと言われたような…なんかスッキリしない。

 

メネシット配合錠が1日3錠処方された。震えや筋肉の強張りなどを改善するものだそうだ。動きやすくなって脳も活性化するかも知れない、様子を見てくださいとのこと。

 

母は、他には血圧の薬しか飲んでいないけれど、薬の数や回数が増えた。朝昼晩の眼薬と合わせて、結構、気を使う。

 

 

 

四点杖を試したけど

先日、ケアマネージャーから(毎月の)電話連絡があった。その時のアドバイスもあり、普通の杖は諦めて、四点杖を介護福祉用具レンタル会社から借りることにした。筋トレ、転倒予防、歩行訓練のために…。

 

四点の大きさにより、「大中小」様々にあるが、母の体格や体力に合わせて「中」。軽くて安定性も十分。先ずは、お試し。
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デイサービスでも練習させたくて、スタッフに尋ねたら、他にもそういう人がいるということで快く0K。

 

それから3日後、母は、「まだ歩けるからいらない。邪魔で仕方がない。練習なんかしたくない…。」と。確かに、(家で無理やり使わせて観察しても、)この杖を、持ち上げて運んでしまう。

 

「室内では段差もないし、壁伝いに摺り足で移動しているから…大丈夫。」と母。

「でも、実際よく転ぶでしょ。今朝も、手すりつき踏み台で仰向けになって、助けを求めたじゃない。また頭をケガしたら大変だから、筋トレで予防しなきゃ。」と私。

でも、今の母に通用しないことに後で気づく。

なぜなら、転倒して救急車に2回も運ばれたことも縫合したことも、「そうらしいねぇ。」と反応するだけで、血をいっぱい流したことも痛かったことも合わせて、すっかり忘れているのだから。(ある意味幸せだが。)

 

四点杖で揉めたくない。

返すことにした。もう少し自覚できるまで…。そんな時が来るか?私も矛盾したこと言っているなと思いながら、福祉用具レンタル会社に連絡した。。